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紅型はこうして日本に伝わった

bingata

沖縄の伝統的な生地・紅型

現在の沖縄県はかつて琉球王国とよばれ、日本とは別の独立した国でした。

琉球の人々は日本のものと似たかたちの着物を着ていましたが、丈は少し短めで足のくるぶしあたりが主流だったようです。

やはり、一年を通じて温暖な気候だからでしょう。

沖縄の伝統的な衣装というと、鮮やかな色づかいのイメージが強いかもしれません。

しかし、琉球王国には細かい身分制度があり、階級によって着用してよい着物の色や柄が決まっていました。

だれでも華やかな着物を着られたわけではなかったのです。中でも紅型(びんがた)という華麗な染め物を使った着物は、王族や貴族だけに許されていました。

現在一般的に知られる沖縄のカラフルな装束は、高貴な人のためにつくられたものというわけです。

紅型は芭蕉、麻、木綿などで織った布に、手作業で柄を描いた生地です。

モチーフには鳥、植物、雲のような自然のものが多く選ばれています。

紅型が日本に伝わるまで

もともとはそう簡単に身につけられなかった紅型ですが、今では日本全国で見られるようになりました。

「外国」だった琉球の紅型は、どのようにして日本に伝わったのでしょうか。

日本人が紅型を知ったのは、戦国時代と江戸時代の過渡期です。

慶長14(1609)年に薩摩藩(現在の鹿児島県)の藩主・島津家久が琉球に攻め込み、降伏させたことがはじまりでした。

島津家は慶長5(1600)年の関ヶ原の戦いで、負けた側の西軍に味方していたため、財政がとても苦しくなってこのような行動に出たのです。

江戸幕府は琉球を植民地にまではしませんでしたが、実際には薩摩藩の領地という扱いでした。

今までにない色づかいの紅型は日本でとても珍しがられ、薩摩藩の重要な産業品になります。

琉球にとってはつらく悲しい出来事でしたが、こうして日本と琉球の貿易が盛んになり、紅型も日本で知られるようになりました。

やがて紅型が日本国内で流通するようになると、日本の染め物である友禅などの技法と融合して独自の発展を遂げてゆきます。

鶴や桜などの日本的なモチーフを、紅型らしい鮮やかな色で染めるなど、両者の特徴を取り入れた生地がつくられました。

このようにして日本にも広まった紅型ですが、戦災で多くの作品や工房が被害を受けました。

しかし、職人たちが兵器の残骸などを再利用して技術を守り、現在に伝えたのです。

日本的な紅型も誕生する

日本で紅型の需要が高まると、国内でも紅型をつくる職人が出てきました。日本生まれの紅型には、江戸紅型や京紅型などがあります。

日本の紅型は琉球の紅型と比べて落ち着いた色合いが多く、日本人の好みに合わせられています。

西洋のお菓子を日本人の舌に合わせて甘さ控えめにするような感覚ですね。しかし、日本古来のものより鮮やかな色が使われ、柄にも南国風ののびやかさがあります。

絶妙なバランスを持つ日本の紅型には、これにしかない魅力があるといえるでしょう。

新しいものを受け入れて自分たちなりのアレンジを加える日本人の感性は、ここにも発揮されているのです。

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