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江戸に花開いた花魁の着こなし

2016/07/19

oiran

江戸の華・花魁

江戸時代に江戸の吉原や京都の島原などで栄えた遊郭には、独自の文化がありました。その文化の中心にいたのが遊女です。

遊女にはランクがあります。遊郭のしきたりを学びながら雑用をする禿(かむろ)からスタートして、実際に客の相手をする新造(しんぞう)となったあと、最上級の花魁(おいらん)となりました。

花魁は遊女1000人の中に2、3人ほどしかいない貴重な存在で、いつでも注目の的でした。このため着こなしがどんどん派手で個性的になり、その美しさがさらに話題を呼んで、遊郭のファッションリーダーとなったのです。

では、実際に花魁はどんな着物をどのように着ていたのか見てみましょう。

花魁特有の着こなし

花魁の着物は「見せること」が一番重要でした。このため、実用性はほとんどありません。現代でいうなら、ステージ衣装のようなものでしょう。

基本的な重ね方は次のようなものです。まず襦袢などの下着類を着て、その上に小袖を2枚ほど重ねます。そこに帯を結び、さらに打掛を3枚ほど重ねるのです。

髪型も高く結い上げるなど手が込んでいて、そこにかんざしを12本ほど差しました。これらをすべて身につけたうえで高下駄を履いたため、きれいに歩く練習が欠かせなかったようです。

花魁の着こなしで特徴的なのは、帯を前で結ぶ「前帯」でしょう。前帯はもともと既婚者を表す結び方で、遊郭では一夜限りの妻を意味しました。

結び目が前にくるので大きな柄を見せやすく、特に帯を前に垂らす「まな板帯」はお気に入りの絵柄を目立たせられるので多くの花魁が好みました。浮世絵でもまな板帯姿は定番です。

花魁が妓楼から揚屋に移動することを「道中」と呼びます。美しく着飾った花魁が見られる遊郭の名物でした。

男女問わず人々のあこがれに

遊郭というと、男性の欲望に女性がもてあそばれた悲しい場所というイメージがあるかもしれません。

しかし実際の遊郭は、江戸幕府公認の開かれた土地でした。江戸文化の中心であり、テーマパークだったのです。

花魁の着こなしは最新のファッションとして全国に発信されていました。花魁の道中を見に来る人には男性だけでなく、その美しさにあこがれる女性もたくさんいたのです。大奥の女性たちも花魁の着こなしをまねたといわれます。

江戸時代には、ぜいたくを禁じる法令がたびたび出されましたが、それでも花魁の着物は派手になっていきました。

むしろ、禁じられたからこそ派手になったといえるでしょう。

ぜいたくができないからこそ、人々は着飾った花魁に非日常的な夢を見て、花魁がそれに応えることで独特の着こなしが発展していったのです。

-着物の知識