着物情報館しまのわ

着物についての豆知識をまとめているサイトです。豆知識の投稿はお問い合わせからお願いいたします。

禁断の花園・大奥の女性たちの着物

ooku

そもそも大奥ってなに?

「徳川将軍家を陰から操った男子禁制の女の園」といわれる大奥。ひとことでいえば将軍のお世継ぎ輩出機関です。将軍の正妻である御台所(みだいどころ)、第2第3の妻である側室、彼女たちに仕える大勢の女中などが暮らしていました。→参考:Wikipedia「大奥」

確かにほとんどが女性でしたが、将軍以外の男性を完全にシャットアウトしていたわけではありません。広敷役人という男性役人が勤めていたほか、男性の使用人を雇っていたこともあったようです。

大奥は江戸幕府2代将軍・徳川秀忠の乳母だった春日局が中心になってつくりあげました。名前のとおり江戸城の一番奥にあった場所です。将軍の私邸という扱いなのであまり詳しい記録が残っていません。

しかし、大奥を描いた浮世絵や幕末のころの写真、女中たちの手紙などから実態が少しずつわかってきました。

そこに浮かび上がった大奥の女性たちは、とても美しい着物で着飾っていたようです。

まさに絢爛豪華な大奥ファッション

大奥の女性は大きくふたつに分けられます。将軍に一生仕える御目見(おめみえ)以上と、期間限定で奉公する御目見以下です。そして、御目見以上のなかでも特に御台所の世話役である中臈(ちゅうろう)以上になると、豪華な着物を身につけるのが当然でした。

さらに詳しく見てみましょう。打掛には光沢を持った絹織物の綸子(りんず)を用います。そこに金糸銀糸で模様を縫い上げ、裏地にも絹をふんだんに使いました。打掛の下に着る小袖にも絹を使う贅沢ぶりでした。

着方は季節ごとに異なります。春夏は打掛を腰に巻いた腰巻姿で、秋冬は打掛を羽織った打掛姿。腰巻姿のときには堤帯(つけおび)という両端に紙の芯を入れた帯を締め、横に張り出した先端に袖をひっかけました。その姿は後ろから見るととんぼの羽根のように見えます。こうすることで袖の柄をきれいに見せることができました。

お正月には御台所が女房装束をまとうこともありました。女房装束とは平安時代の女性の礼装で、十二単ともよばれます。鮮やかな色の着物を何枚も重ね着した姿は、新年の訪れを華やかに彩ったことでしょう。

意外と苦しかった懐事情

このように大奥はきらびやかな着物でいっぱいの世界でした。

彼女たちがここまで着飾ったわけは、将軍のご寵愛を受けるためというのももちろんあるのですが……実は見栄が一番大きかったようです。お互いに「あの人には負けたくない」と火花を飛ばしていました。いつの時代にも女性同士による激しい格付けの戦いは存在するということでしょう。

大奥にはかなり高収入の女性もいました。しかし、見栄の戦いを勝ち抜くために贅沢な着物を買い続けて、お金に苦労することも多かったようです。

一見華麗で豪奢な大奥の裏には、たくさんの見栄と苦労が隠されていたのですね。

-着物の知識